うちのお墓は、お寺の過去帳で現在13代目、それ以前は火事で過去帳が焼失し、
詳細不明の田舎の結構古い家のお墓なので、普通のお墓のイメージとは違い、
お寺の裏山の中腹の斜面にあり、うちのお墓(墓石と言うより自然石)を中心に
その周りに近しい一族のお墓が並んでいる様なお墓です。
それ故、健常の頃は、お盆前の休日の早朝にお墓に行き、先ずはお墓までの
道筋を草刈り機で伸び放題の雑草を刈り、刈った草を片付けて、土の斜面に
スコップで段差を付け、階段を作り、お墓周りの草むしりをして、倒れている
卒塔婆を立て直し・・・、という準備が必要でした。
毎年、声をかけなくても一族のおばちゃん達は朝早くから集まって作業をして
くれていました。
そして、迎え盆の日にお寺とお墓にお参りに行き、帰りに本家の仏壇にお参りし、
家に帰って、ろうそくに火をともし、線香を上げ、両親に仏壇に戻って貰いました。
うちは今の本家からの分家なので、父が我が家の初仏で、仏壇を作りました。
母も同じお墓に入れて貰い、ひとつの位牌に父と並んでいます。
送り盆の日になったら、仏壇にお参りし、さあ帰りますよ。と、声をかけ、お寺に
行ってお参りをしてから、お墓まで上がり、線香を手向け、また来年ね・・・
という感じでお盆を過ごしていましたが・・・
ここ数年は、お帰りなさい、また来年ね・・・と、心の中で済ませています。
今のところ、気持ちでしか出来ません。
山形へも帰れていません。
来年は・・・、山形まで・・・、本家まで・・・、お寺まで・・・、何処まで行けるかな?
お墓までは、当分行けそうもないけど、まずは、山形まで・・・
少しずつ、近くまで行けるように考えたいと思います。
今年も、気持ちで迎え、今日、送りました。
お寺の方角に向かって、合掌しました。
おふくろの命日以来のお線香の香りです。
香りはもの凄く記憶に繋がっているものですね。切ない気持ちが鮮明に蘇ります。
おやじ、おふくろ、伯母ちゃん、また来年ね (ToT)/~~~
この伯母ちゃんは、母の長姉で、独身で、私をとても可愛がってくれました。
ものすごく大好きな伯母ちゃんでした。
私が中学二年の時、自宅のトイレで脳出血を発症し倒れました。
意識混濁のまま一週間後に亡くなりました。
今思うと、手術も何もしなかった記憶が・・・・
年代が違ってたら助かってたのかなあ・・・
これ以上は考えないことにします。
母方のお墓に入っていますが、特別な存在だったので毎年お迎えしています。
考えてみると、伯母ちゃんの歳、とっくに越えちゃったかも・・・