今日、会社では午後2時46分に全員が起立して一分間の黙祷を行いました。
改めて、被災された皆様にお見舞い申し上げるとともに、犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。
あれから5年、今年と同じ金曜日でした。
その瞬間は、山形市内のカーディーラーの全面ガラス張りのショールームにいました。経験したことのない強烈な揺れ、停電、余震、急に降り出した雪・・・
余震の度に悲鳴があがる中、携帯電話のワンセグで、仙台市沿岸部のいつも通っていた道を飲み込む黒い波を呆然と見ていました。
俄に天候が急変して大雪となり、あっという間にあたり一面真っ白になっていました。帰れなくなる前にとカーディーラーを出ると、市内は信号も消え、大雪という事もあり、ノロノロとしか走ることが出来ませんでした。
でも、印象的だったのは、運転手達は皆冷静で、交差点では我先にという傲慢な者は皆無で、譲り合いながらの通行がなされていました。クラクションの鳴らし合いも皆無。警官が誘導していたわけでもないにもかかわらずです。
余りにも重大な出来事のせいで、逆にパニックにならずにいれたのかもしれません。
家に着く頃にはもう暗くなっていました。家の中はタンスの扉が開いていた位で、大きなダメージはありませんでした。この時点では、敷地周りのブロック塀の部分的な崩壊には気が付きませんでした。
停電が続いていたので、夜遅くまでずっとクルマの中で、ワンセグでニュースを見ていました。被害の状況が報告される地名は、ことごとく知っている、何度も行っている場所ばかり。心が張り裂けそうでした。
部屋に戻って石油ストーブをつけて、赤い炎を見ながら、放心状態でした。
停電が復旧したのは翌日でした。水道も翌日には復旧していました。
しかし、それからしばらくの間、ガソリン・灯油の供給不能に苦しめられます。